世界的に有名なプレミアムテキーラ、パトロンのカクテルコンペティション(以下、カクテルコンペ)「パトロン ザ・パーフェクショニスト カクテルコンペティション 2018」
その日本大会で優勝を果たした中村充宏さん(ザ・ペニンシュラ東京 Peterバー)へのインタビュー企画の後編です!
中村さんがどのようにバーテンダーになったのか、そのストーリーやカクテルへのこだわり、コンペで素晴らしい結果を収められる理由についてお聞きしました。
インタビュー前編はこちら
⇒「パトロン」カクテルコンペティション優勝者、中村充宏氏に聞く① 〜 優勝カクテル誕生秘話
【中村充宏】
2011年にPeterバーでバーテンダーのキャリアをスタートし、現在はバー全体を統括。2014年にシーバスリーガル、2015年にボンベイ・サファイアのカクテルコンペティションでそれぞれ日本一に輝き、世界大会に出場。また、2017年にはアメリカで開催されたカクテルの祭典「テイルズ・オブ・ザ・カクテル」にて、日本人初のプレゼンターを務めた。
ウェディングプランナーからバーテンダーへ
– 前回のインタビュー記事で少し変わった経歴が垣間見えましたが、中村さんのこれまでの経歴についてお聞きしても良いですか?
中村充宏さん(以下中村):26〜31歳までウェディングプランナーをしていました。
2010年の31歳の時にザ・ペニンシュラ東京に入社したのですが、その時はバーテンダーというより、世界に通じるホテリエになりたいと思っていました。
まず、バーに併設しているレストランPeterに配属になりました。今でこそPeterバーにいますけど、当初はレストラン勤務でした。
– ではなぜバーテンダーになったのですか?
中村:実は異動なんです。
ホテリエになりたかったわけですけど、バーはホテルに必ずと言っていいほどあるので、経験しておいたほうが良いと思い、異動を決意しました。
そもそも、ウェディングプランナーになる前は、飲食店でキッチンのアルバイトをしていて「作ることが嫌いじゃないな」と思っていたのもありましたし、長年バンド活動をやっていたので自分を「表現」することが苦手じゃありませんでした。
そして、ウェディングプランナーの仕事は、分かりにくいものを分かりやすく「伝える」仕事です。
アイディアを形して、作って、想いを伝える、それがバーテンダーだとすると、今までの経歴はバーテンダーに適していたのかなと思います。
– それでバーテンダーになったのはいつですか?
中村:実際にバーテンダーになったのは2011年、32歳の時でした。バーテンダーとしては遅いスタートだと思います。
そこで、バーの世界に入るからには、とにかく人より勉強しようと思いました。他のバーテンダーのスタッフより遅れをとっていたわけですし。
– それからの快進撃がすごいですね…
中村:バーテンダーになって2年経った2013年の時、ワールドクラス(ディアジオ社主催の世界有数のカクテルコンペティション)に出場し、ジャパン・ファイナリストになりました。
その後、2014年には(ウイスキーの)シーバスリーガルの「シーバス マスターズ・カクテルコンペティション」で国内優勝をして初めて一つの結果を残すことができました。2015年には、今度は(ジンの)ボンベイ・サファイアの「ボンベイ・サファイア ワールド モスト イマジネイティブ バーテンダー2015」で日本最優秀賞を獲得して、世界大会に出場しました。
今振り返るとそうした成績を残せたのは、料飲部 ビバレッジマネージャーでもある、鎌田真理さんの存在がやっぱり大きかったです。
日本を代表するバーテンダーであり、私にとっては偉大な先駆者でもありました。色々なアイディアを相談するのですが、いつもポジティブに聞いてくれるのです。
日本の文化を伝えるべく茶道も習得
– 輝かしい成績と同時にカクテルコンペによく出場されている印象も受けますが、何か特別な理由などあるのですか?
中村:私はバーテンダーになったのが遅かったので、こうした大会をとおして技術を向上させられると思っていましたし、結果も出したいと思っていました。
それと、これは個人的な性格ですが、僕は具体的な目標があるとより燃えるタイプなんです。
コンペの場合、結果がはっきりしますし、目標も明確です。
しかも挑戦すれば(そのコンペの主題の)ブランドはもちろん、そのお酒のカテゴリーについてもより深く学べるし、結果が出れば、始めたのが遅かった自分でもバーテンダーとして自信がつきます。だからこそコンペに挑戦したいと思っています。
– そういえば中村さんは茶道もやってらっしゃいますよね?
中村:はい、2011年から麗扇会日本文化学院にて茶道を習っています。
自国の文化を世界中の人に伝える手段が欲しかったのですが、当時私は英語が喋れず、言葉で発信することができませんでした。
それで、日本の何かを学び発信できるようになろうと思い、調べた末に行き着いたのが茶道です。
茶道では所作、つまり動きももてなしだとされていて、主に小さな動きを習います。
バーテンダーになる前に茶道を習い始めたのですが、そこでの学びはバーテンダーとして一つの強みにもなっているかもしれません。
【次ページ】中村氏に聞く、バーテンダーとしてのこだわり、コンペで勝ち続けられる理由
※公開後はここから2ページ目に変わります
「求められているものを悟ることから始まる」
– それでは次に、バーテンダーとしての中村さんについてお聞きしていこうと思います。
中村さんがバーテンダーとして最もこだわっている部分は何ですか?
中村:こだわっていることに当てはまるかはわかりませんが、お客様を第一に考えることを大切にしています。お客様がいてのバーテンダーですから。
カクテル一つ一つは作品であり、もちろんこだわって作ってはいますけど、あくまでお客様が欲しいもの、求めているものを悟って提供する、ここに重点をおいています。
今お客様は何を求めているのか、お客様は全てを喋ってはくれませんからこちらから汲み取って悟ります。
その少ない情報やコミュニケーションから、どれだけ汲み取れるかが重要だと思っています。
言い換えれば「お客様を知ること」です。
どれだけ美味しいものを作っても、お客様が求めるものでなかったら意味がありませんから。
– 求められているものを悟るですか…
中村:サービスする上で、僕は察することには大きな価値があると思っています。
言葉を使うコミュニケーションより、言葉がないコミュニケーションの方が粋ですし、価値は大きいかなと思っています。
– なるほど…
ではカクテルについてはどのようなこだわりがありますか?
中村:それも同じく、お客様が求めているものを作ることにこだわっています。
あとは味の部分でいうと、甘酸味や苦味のバランスには気をつけています。
味の組み合わせはお客様の希望で変わってきますが、バランスというのはある程度バーテンダーでコントロールするところだと思っています。
ですので、最終決断は私に委ねられているのです。
普段行なっていることは「観察・推測・実行」で、シンプルかもしれませんが、「実行」は勇気がいりますので難しいところだと思います。
「カクテルコンペもいつもの営業も僕にとっては同じこと」
– カクテルへのこだわりはごくシンプルなものでしたが、それでもコンペで結果を残せていますよね。
コンペでカクテルを創作するにあたって何かヒントなどあるんですか?
中村:ヒントというよりも、(コンペでお題になっている)商品のありのままを知ることを大切にしています。
正面から商品と向き合って、その日常や歴史を感じ取って、そこからヒントを得ます。
普段お客様が何を欲しているのかを考えることと、そのコンペでどんなカクテルが求められているのかを考えることは、私の中でも同じなのです。
パトロンのコンペだったらパトロンがお客様といった感じです。
相手が美味しいと感じるものを作りたいなと思いますし、パトロンを知って、どのようなカクテルが好まれるのかを知ることに注力して、カクテルを考え創作します。
– アプローチは特別変わらないというわけですね。
中村:お客様について知っていれば味の好みはわかりますし、例えばパトロンのコンペでもそれは同じことです。
バーテンダーによっては、コンペでは自分が作りたいものを作品にする方もいらっしゃると思います。
人それぞれ自身の中で流行っているものがあり、そういったものを取り入れ最高のものを創作したいと思うこともあると思うのですが、良くも悪くも僕にはそれがありません。だからこそ商品を知り、求められているものを作ることに注力しています。
– 最後に、今後の目標についてお聞きしても良いですか?
中村:正直なところ私は、一年後、三年後の目標を持って生きてきたタイプではなく、毎日、今出来る事は何か、お客様のために何が出来るのか、それを追求してきたら自然と道が開けてきたタイプです。
もちろん来年1月に行われるパトロンの世界大会では優勝を狙いますが、「目の前にいるお客様の3秒先を掴む事」これが今後というよりも日々の目標ですね。
先ほども触れましたがサービスは「観察・推測・実行」の繰り返しだと思っています。お客様の3秒先を推測して、先回りして推測した“何か”を控えめに差し出してあげたいですね。
– ありがとうございました!世界大会はもちろんのこと、今後の活躍楽しみにしています!
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